Coots in the North

未完の13作目、物語はブローズから始まります
Like to see their faces when we say "Hullo" - Joe

Ransome, Arthur. (1988) edited, with an introduction and notes, by Hugh Brogan
Coots in the North and other stories. p.124. Cape.

 


「アーサー・ランサムの生涯」を書くための資料調べをしているとき、ケンダルのアボット・ホールで13作目となる物語の草稿やメモ、スケッチを発見し、ブローガンはそれに「Coots in the North」と題をつけまとめあげました。


1948年の冬、ランサムは13作目の物語に取りかかりました。物語のあらすじをまず書いてしまうのはランサムのやり方だそうですが、この13作目でも同じで最初の4章、「死と栄光号」の3人組がどのようにしてあの湖へ行くことになるのか、どんな風にしてD姉弟やナンシーと出会うのか、さらに相応しい何枚ものスケッチを一気に書いてしまったようです。残された断片的なメモから、物語がどのように発展し、どんな結末を迎えることになるのかを推測することはできるのですが、残念ながら発端と結末の間が埋められることはありませんでした。

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発端

ノーフォーク・ブローズの3人組、ジョー、ビル、ピートはすでに海賊稼業から足を洗い、「死と栄光号」に乗って「オオバンクラブ海難救助会社(Coot Club Salvage Company Limited)を営んでいますがたいした稼ぎにはなっていません。

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その夏(おそらく11作目「スカラブ号の夏休み」でD姉弟が北部の湖にいるときのこと)、ホーニングにあるジョナット造船所が夏中かかりきりだった一隻のモーター・クルーザーがまさに完成しようとしていました。この船は3人組にとって特別な船でした、なぜって彼女はできあがったらあの「北部の湖」へ陸送されていくことになっていたからです。D姉弟からさんざん聞かされた湖水地方のあの湖、ブローズから出たことのない彼らにとって山があってそして素敵な湖があるそこは遥かなあこがれの土地です。船大工であるピートの父親が船に付き添っていくことになっているとはいえ、自分たちが行きたい気持ちに変わりはありません。ジョーは言います。

ああ、おれ達が一緒に行けたらなぁ・・・

トレーラーに積まれた船を見上げている時、通りかかった「提督」のなにげない一言がジョーの心に波紋を残します。

まぁこの船は北へ運ばれていくの?・・・この船に乗って旅ができなくて残念だこと。いらっしゃいウィリアム
 

密航

その夜、トレーラーの出発を見物に出かけた3人は荷台に積まれたクルーザーにこっそり乗り込みます。もちろん乗ってみたかっただけですぐにおりるつもりだったのですが、ジョーだけは密かに心を決めていました。ジョーは息を殺して言います。

降りないさ・・・

でも降りなきゃ!

どうして?提督が言ったの聞いたろ、船に乗っていけなくて残念ねって。でも行けるさ・・・


ビルはこの密航に反対で「降りよう」「トレーラーを止めよう」と主張します。ピートは「引き潮の川に落ちて、海へと流されていっているような」気がしました。クルーザーのキャビンに座ってピートはすぐ前の運転席に座っている父親のことを考えるのでした。「父ちゃんはすっごく怒るだろうな・・・」でも次には、帰ってきたとき、自分たちが見てきたものを話すときのことを想像するのでした。山があって・・・湖があって・・・ディックとドロシャが・・・

ビルと降りる降りないで言い争って、ジョーはこう言ってのけます。

金なんていらないさ。トレーラーで帰って来るんだから。それに腹もへらないさ。買ったチョコレート全部ポケットに入れてきたからな
 

こうしてトレーラーは3人を乗せたクルーザーを積んで、夜の道を遥かな北へ向かって走り続けます。3人はといえば交替でクルーザーの舵輪を握り、トレーラーが道なりにカーブするたびにクルーザーもその舵を切るのでした。

到着と再会


3人組がどのようにして湖に着いてD姉弟と再会するか、いくつかのプランがあったようです。その一つは途中で父親に見つかってしまってそのままトレーラーに乗せられて湖に着くというもの。でもこれはあまりにドラマティックでないという理由で破棄されました。そして結局、湖を間近にしてこっそりトレーラーから降りた所、トレーラーだけ出発してしまい3人は置いてきぼりにされ(ジョーのネズミはクルーザーに乗ったまま)、必死に湖の造船所を捜してたどり着いたもののトレーラーはすでにおらず、帰りの足も失ってしまうと言うプランが採用されました。見つけたクルーザーのオーナーにその晩は泊めて貰い、翌日湖からD姉弟が滞在しているディクソン農場を訪ねることになります。そしてブローズの子どもたちと「北部の湖」の子どもたちが出会う最初のクライマックスの章がはじまります。それにはこんなタイトルが付けられています。


One Way of Meeting Nancy

 

結末

ランサムらしく物語の結末はあらかじめちゃんと考えられており、3人がどうやって怒り心頭の父親が待つノーフォークへ帰っていくのかも読むことができます。無一文で湖へやってきてしまった3人組。「帰らなくちゃいけないわね」と言うドロシャ、「あら、帰んなくたっていいわよ」と言うナンシー。カラム夫人に電報を打って貰ってしばらく滞在することになったのですが、その先、物語の中心となるはずの章が書かれることはありませんでした。

最後の物語

60歳を越えていたランサムには物語を創造する力が衰えていたのかもしれないとブローガンは書いていますが、頑強とは言えなかったランサムの健康も仕事を続けさせることの妨げになったのかもしれません。若い頃からの胃、十二指腸潰瘍、さらにヘルニアを煩ったせいで、すでに医者からもう帆走と山歩きはおしまいと言われていました。

このころランサムはコニストンに程近い屋敷「Lowick Hall」を隣り合う農場とともに購入したのですが、屋敷と農場を維持管理することは経済的にも体力的にもランサム夫妻には荷が重すぎることでした。2年後彼らはここを諦めロンドンへ移り、夏の休暇を除けばもう湖水地方に居を定めることはありませんでした。

ブローズの子どもたちと「北部の湖」の子どもたちが出会うという構想は、サーガの最後(物語の中の順番では「ピクト人と殉教者」のあとになりますが)に相応しいものだったでしょう。オールキャストで冒険物語が展開され、どの作品にも感じられる幸福な雰囲気のなかで幕が閉じるはずだったのでしょうが、でも季節は夏の終わり、ジョーの言葉を借りれば「もう6月じゃない」のです。子ども達も成長して季節は「夏」から「秋」へ、ランサムの子供時代の回想とその現実化はもう十分成し遂げられていたのかもしれません。

いずれにしても、遺稿にはランサムの物語に共通してみられるあの「無謀な冒険」の途についてしまう子どもたちが描かれていて、なんだかじんときてしまうのです。